マントラ「Sri Vitthala Giridhari Parabrahmane Namaha.」情報まとめ

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はじめに

この記事では、ヴィシュワナンダ師が2020年にビジョンを受け取り帰依者に伝えられたマントラ「Sri Vitthala Giridhari Parabrahmane Namaha.」についてご紹介しています。

Sri Vitthala Giridhari Parabrahmane Namaha.
(シュリー ヴィッタラ ギリダーリ パラブラフマネー ナマハ)
全ての避難所であり、全てを守護してくださる御方である至高神に、私の全てを委ねます。

最後に、実際の唱え方やバジャンの動画をご紹介しています。
ジャパ瞑想で唱えても、歌っても自由なので、ご自身に合った方法でぜひ唱えてみて下さい。

個人的には、朝に1時間このマントラでジャパ瞑想をするのがお気に入りです。

集中して唱えるようになったら、
・しょっちゅうゾロ目を見るようになったり(スマホを開くたびにゾロ目)、

・これは偶然ではないでしょ、というくらいシンクロがたくさん起こったり、
(「偶然とは、神が匿名で働かれるときの名前である。」という言葉がありますが、まさにこの通り)

・病気になられた方を思い浮かべてマントラを唱えたら、入院直前だった方が改善したり、

といったことが沢山起こっています。

期待して唱えるのではないですが、ぜひ試してみていただきたいです。

ジャパ瞑想のレクチャーも行っていますので、ご興味ある方はご参加ください。

「これを授かる者は、すべてが成就するであろう。」

https://www.instagram.com/reel/C4Itl34v4st/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MW4wN2MyZ2tvcXljMw==

2020年、私はインドから戻ってきました。

そのとき、私は〈光〉を見て、バガヴァーン・ヴィッタラのビジョンを受け取りました。

そして彼は私にこう言ったのです「このマントラをすべての人に授けなさい。」

「シュリ・ヴィッタラ・ギリダーリ・パラブラフマネー・ナマハ」

「これを授かる者は、すべてが成就するであろう。」

そして、私は帰ってきて、ビジョンは消えていきました。

私はそのマントラを書き留め、帰依者たちに授けました。

それからというもの、このマントラを唱えるだけで――

「シュリ・ヴィッタラ・ギリダーリ・パラブラフマネー・ナマハ」

多くの病の人が、神によって癒されました。

瞑想の中で、多くの人々が驚くべき体験をしました。

けれども、それが起こるのは、ただひとつ。

あなたの意識が高まったときだけです。

唱えてみよう

初めての方はヴィシュワナンダ師のマントラに合わせて唱えてみてください。

座って静かに唱えるのがオススメですが、家事をしながら、移動しながらでも、眠りに入る前でも。

12分

15分

6時間

意味とチャンティングする時の気持ち

質問はこうでした。
「どのような“気持ち(ムード)”で神を礼拝すべきでしょうか?」

確かに、マントラを唱えるときには、そのムードが心に宿り、そのリーラー(神の遊戯)が心の中で展開していなければなりません。

  • ヴリンダーヴァンのクリシュナギリダーリー(山を持ち上げる者)
  • ドワールカーのクリシュナドワールカーアディーシュ
  • そして私たちが呼ぶヴィッタラはドワールカーのクリシュナではなく、
    クリシュナの“第四のリーラー”――パーンドゥルプルのクリシュナに属します。
    彼は堕落した魂すべてにもっとも慈悲深いお方です。

つまり同じ主クリシュナが、
ヴリンダーヴァン、ドワールカー、パーンドゥルプルという三つの姿で顕れているわけです。

ヴリンダーヴァンでは、なぜクリシュナはゴーヴァルダナ山を持ち上げたのでしょう?
それはすべての村人を守るためでした。

象徴的にはこう宣言しています。
「わたしに身を委ねる者を、わたしは完全に守る」。
これは『バガヴァッド・ギーター』18章66節 ―
「一切を捨ててわたしに帰依せよ。わたしは汝を守護する」と同じ教えです。

ヴィッタラのリーラーにも同じ愛が映し出されています。
ヴリンダーヴァンで五千年前に起こったリーラーは、12世紀にも再演されました。
まずガジャナン、次にナームデーヴ、そしてジャーナーバーイ……。
これらのヴィッタラのリーラーはヴリンダーヴァンと少しも異なりません。

したがって、あなたが
「シュリー・ヴィッタラ・ギリダーリー・パラブラフマネー・ナマハ」
と唱えるとき、
あなたはその究極の守護につかまり、こう乞い願っています。
「どうか御足に身を投じさせてください。避難所と守りをお与えください。」
――事実、降伏(サレンダー)する意志すら、主の恩寵なくしては起こりません

ヴィッタラ、ギリダーリーは、帰依者を慈しみ、世話をする主そのものです。
真に世話をしたい者が、遠く離れているはずがありません。

ヴィッタラの伝統では、主はご自身と人々のあいだのあらゆるドグマを打ち壊します。

聖典が数多くの規則を示していても、ヴィッタラのリーラーではそれらの壁が取り払われるのです。

ですから、このマントラを唱えるときは、
これらのリーラーを心に生き生きと想い描き、
「主がどれほど親しいお方か」をいつも覚えていてください。

「Sri Vitthala Giridhari Parabrahmane Namaha.」の深遠さについて

https://youtu.be/_pqyWdNvFSs?si=2OTzX2b48q22F5lB

グルジ:

プリトゥ、あなたへの質問がきました。
マントラ「Sri Vitthala Giridhari Parabrahmane Namaha.」の深遠さについて、もう少し詳しく語っていただけますか?

あなたがこのマントラを最初に授けた方なので、皆にその意味を説明してください。

プリトゥ:

グルジは、今ちょうどバガヴァッド・ギーターのある詩を引用されたところでした。
その詩にはこうあります。

4章7節
アルジュナ、ダルマ (正義)が衰え、アダルマ(不義)がはびこる時には、いつでも、私が顕現する。
yadā yadā hi dharmasya glānir bhavati bhārata abhyutthānam adharmasya tadātmānaṁ sṛijāmy aham

つまり、クリシュナは義(ダルマ)の崩壊と不義(アダルマ)の増大に応じてこの世に現れるのです。

この詩の中では、「サードゥナーム」という言葉も出てきます。

4章8節
善良な者を守護し、邪悪な者を打ち倒し、ダルマを確立するために、私は、時代から時代へと化身する。
paritrāṇāya sādhūnāṁ vināśāya ca duṣkṛtām dharma-saṁsthāpanārthāya sambhavāmi yuge yuge

クリシュナが来るとき、ナーム(御名/神の名前)を人々に与えることが語られています。

なぜでしょう?

それは、苦しみを和らげ、平和をもたらすためです。

このマントラには、三つの側面が一つの存在の中に統合されているのです。

1、「ヴィッタラ」

私たちは「ヴィッタラ」をよく知っています。

彼はレンガの上に立ち、帰依者(バクタ)が来るのを待っている存在です。

これはつまり、「エゴ(自我)を打ち砕く方法」を象徴しています。

2、「ギリダーリー」

そして「ギリダーリー」とは、ゴーヴァルダナ山を持ち上げた方であり、すべての人に避難所(シェルター)を与える存在です。

なぜ避難所を与えるのか?
それは、ヴリンダーヴァンの住民たちが不安を抱かないようにするためです。

実際、クリシュナでさえも彼らに不安を与えることはできるかもしれませんが、ヴリンダーヴァンの外の存在は、彼らに不安を与えてはならないのです。

ヴリンダーヴァンにおいて、唯一許されている不安というのは、「いつ私のクリシュナに会えるのか」という切なる想いだけです。

3、「パラブラフマ」

すべてを包み込むもの、それがこの「パラブラフマ」─至高の実在です。

この三つ(ヴィッタラ、ギリダーリー、パラブラフマ)が一つに統合されると、

それはクリシュナのこの御姿となり、このマントラとなるのです。

そしてこのマントラは非常に力強いものとなります。

なぜなら、それは魂がずっと求め続けてきた、避難所と庇護を与えるために現れたものだからです。

グルジがこのマントラを授けてくださったのは、パンデミックが始まった頃です。

痛みや不安、心配から私たちを解放するためでした。

「心配しなくていい。クリシュナがここにいる。」
「心配しなくていい。このマントラがある。」
「心配しなくていい。シャーストラ(聖典)もヴェーダもここにある。」

このマントラのもう一つの目的はプライド(傲慢)を滅することです。

ギリダーリーがゴーヴァルダナを持ち上げたのは、デーヴァ王、インドラの傲慢を砕くためでした。

インドラは、「サルヴァタカ」という、非常に強力な雲を送り、「ヴリンダーヴァンを破壊せよ」と命じました。

でも、それはうまくいきませんでした。

なぜなら、至高の主には誰も敵わないからです。

至高の実在には、誰も逆らえないのです。

プンダリーカは、両親の足をマッサージしていたその時に、
ヴィッタラとして現れたクリシュナがレンガの上に立って待っていた、という逸話もあります。

また、チョーカメーラの物語や、カナカの美しい物語もあります。

「毎年同じようなイベントかも」「また同じ歌かも」――
でも、帰依者たちは、それでも毎回そこに行くのです。

なぜなら、「もし自分が行き方を知らなくても、あちらから来てくれる」からです。

バガヴァッド・ギーター第18章 第65節では、クリシュナはこう語っています。

「私の帰依者は常に私を想っている。私もまた、その帰依者を常に想っている。
私の帰依者は私の中に住み、私は彼らの中に住んでいる。」

ですから、このマントラは実際に深い尊敬と祈りの表現なのです。

「どうか、愛する至高の主よ、この庇護、この守護をお与えください。私の中のプライドを取り除いてください。」

グルジ:

美しい説明でした。

プライド、傲慢さが取り除かれたとき、不可能なことなど何もなくなる。

すべてが可能になるんです。だからこそ、このマントラは「今」必要なんです。

そして、それを広めていってください。



いろんな「Sri Vitthala Giridhari Parabrahmane Namaha.」

いろんな「Sri Vitthala Giridhari Parabrahmane Namaha.」をまとめました。

人に伝えるときは

SVGPNのマントラについてまとめてくださっているページができていました。

https://mantra.bhaktimarga.org?u=9218921824570

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