バガヴァッド・ギーター詠唱用 第1章 アルジュナ・ヴィシャーダ・ヨーガ(アルジュナの嘆き)

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第1章 アルジュナ・ヴィシャーダ・ヨーガ(アルジュナの嘆き)

1.1
dhṛtarāṣṭra uvāca
dharma-kṣetre kuru-kṣetre samavetā yuyutsavaḥ
māmakāḥ pāṇḍavāś caiva kim akurvata sañjaya

ドゥリタラーシュトラ ウヴァーチャ
ダルマクシェートレ クルクシェートレ サマヴェーター ユユッツァヴァハ
マーマカーハ パーンダヴァーシュ チャイヴァ キマクルヴァタ サンジャヤ

ドリタラーシュトラ王は言った:
「サンジャヤよ、正義の地クルクシェートラで、戦いを望んで集まった我が子らとパーンドゥの子らは、そこで何をしていたのか?」

dhṛtarāṣṭra uvāca
dhṛtarāṣṭra:ドリタラーシュトラ(王の名前)
uvāca:言った(過去形、三人称単数)

dharma-kṣetre kuru-kṣetre
dharma:正義、宗教的義務、倫理的秩序
kṣetre:「場所にて」の形(kṣetra=場所、処格)
kuru:クル(クル族、王族の一族)
→「正義の場にして、クル族の地(クルクシェートラ)において」

samavetā yuyutsavaḥ
samavetāḥ:集った者たち(複数、過去分詞)
yuyutsavaḥ:戦いたいと望む者たち(yudh=戦う+意志形)
→「戦いを望んで集まった者たちは」

māmakāḥ pāṇḍavāḥ ca eva
māmakāḥ:私の者たち(=ドリタラーシュトラの息子たち、カウラヴァ)
pāṇḍavāḥ:パーンドゥの子ら(=アルジュナたち)
ca:〜と
eva:まさに、確かに(強調)
→「我が子らと、まさにパーンドゥの子らが」

kim akurvata sañjaya
kim:何を?(疑問詞)
akurvata:「彼らはした」(kṛ=する、の過去三人称複数形)
sañjaya:サンジャヤよ(語り手に呼びかけ)
→「何をしていたのか、サンジャヤよ?」

1.2
sañjaya uvāca
dṛṣṭvā tu pāṇḍavānīkaṁ vyūḍhaṁ duryodhanas tadā
ācāryam upasaṅgamya rājā vacanam abravīt

サンジャヤ ウヴァーチャ
ドリシュトヴァー トゥ パーンダヴァーニーカン ヴューダン ドゥリヨーダナス タダー
アーチャーリヤム ウパサンガムヤ ラージャー ヴァチャナム アブラヴィート

サンジャヤは言った:
その時、ドゥリヨーダナ王は整然と配置されたパーンダヴァ軍を見て、師(ドローナ)のもとへと近づき、次のように言った。

sañjaya uvāca
sañjaya:サンジャヤ(霊視者、語り手)
uvāca:言った(過去形、三人称単数)

dṛṣṭvā tu pāṇḍavānīkam vyūḍham duryodhanaḥ tadā
dṛṣṭvā:見て(dr̥ś=見る、の過去分詞)
tu:しかし、さて
pāṇḍava-anīkam:パーンダヴァ軍(anīka=軍勢)
vyūḍham:隊列を整えられた(vyūha=陣形の整列、の過去分詞)
duryodhanaḥ:ドゥリヨーダナ(カウラヴァの長)
tadā:その時
→「その時、整然と陣形を組んだパーンダヴァ軍を見て、ドゥリヨーダナは」

ācāryam upasaṅgamya rājā vacanam abravīt
ācāryam:師(=ドローナ)
upasaṅgamya:近づいて(upa-saṅgam=近寄る、の絶対分詞)
rājā:王(=ドゥリヨーダナ)
vacanam:言葉、発言
abravīt:語った、言った(√brū=話す、過去形)
→「王は師に近づいて、言葉を発した」

1.3
paśyaitāṁ pāṇḍu-putrāṇām ācārya mahatīṁ camūm
vyūḍhāṁ drupada-putreṇa tava śiṣyeṇa dhīmatā

パッシャイターン パーンドゥ・プトラーナーム アーチャーリヤ マハティーン チャムーム
ヴューダーン ドゥルパダ・プトレーナ タヴァ シシェーナ ディーマター

ドゥリヨーダナは言った:
「アーチャーリヤ(師)よ、ご覧ください。この偉大なるパーンドゥの息子たちの軍勢を。
それはあなたの賢き弟子、ドゥルパダ王の息子によって整然と配置されています。」

paśya etām pāṇḍu-putrāṇām ācārya mahatīm camūm
paśya:見よ(命令形)
etām:この(女性形・単数、camūm「軍勢」を指す)
pāṇḍu-putrāṇām:パーンドゥの息子たちの(属格)
ācārya:師よ(ドローナへの呼びかけ)
mahatīm:偉大なる(女性形・単数)
camūm:軍勢、軍隊
→「師よ、この偉大なるパーンドゥの息子たちの軍勢をご覧ください」

vyūḍhām drupada-putreṇa tava śiṣyeṇa dhīmatā
vyūḍhām:整列された(過去分詞)
drupada-putreṇa:ドゥルパダ王の息子によって(=ドリシュタデュムナ)
tava:あなたの(=ドローナの)
śiṣyeṇa:弟子によって
dhīmatā:知恵ある、賢き者によって
→「あなたの賢き弟子であるドゥルパダ王の息子によって、整然と配置されています」

1.4
atra śūrā maheṣvāsā bhīmārjuna-samā yudhi
yuyudhāno virāṭaś ca drupadaś ca mahā-rathaḥ

アトラ シューラー マヘーシュヴァーサー ビーマールジュナ・サマー ユディ
ユユダーノ ヴィラータシュ チャ ドゥルパダシュ チャ マハーラタハ

ここには、戦場でビーシュマやアルジュナに匹敵する勇敢で偉大な弓の使い手たち、
ユユダーナ、ヴィラータ、そして偉大な戦車戦士ドゥルパダがいる。

atra śūrā maheṣvāsā bhīma-arjuna-samā yudhi
atra:ここに
śūrāḥ:勇者たち
maheṣvāsāḥ:偉大な弓の使い手(mahā=偉大な、iṣvās=弓)
bhīma-arjuna-samāḥ:ビーシュマとアルジュナに匹敵する者たち
yudhi:戦いにおいて(locative)
→「ここには、戦場においてビーシュマやアルジュナに匹敵する勇敢で偉大な弓の使い手たちがいる」

yuyudhānaḥ virāṭaś ca drupadaś ca mahā-rathaḥ
yuyudhānaḥ:ユユダーナ(別名サーティヤキ)
virāṭaḥ:ヴィラータ(かつてパーンダヴァが隠れ住んだ王)
ca:〜と
drupadaḥ:ドゥルパダ王(ドラウパディーの父)
mahā-rathaḥ:偉大な戦車戦士(1人で1万人を相手に戦える勇士の階級)
→「ユユダーナ、ヴィラータ、そして偉大な戦士ドゥルパダがいる」

1.5
dhṛṣṭaketuś cekitānaḥ kāśirājaś ca vīryavān
purujit kuntibhojaś ca śaibyaś ca nara-puṅgavaḥ

ドリシュタケートゥシュ チェキターナハ カーシラージャシュ チャ ヴィーリヤヴァーン
プルジット クンティボージャシュ チャ シャイビャシュ チャ ナラ・プンガヴァハ

また、ドリシュタケートゥ、チェキターナ、勇敢なるカーシ国の王、
プルジット、クンティボージャ、そして人中の傑士シャイビャもまたここにいる。

dhṛṣṭaketuḥ cekitānaḥ kāśi-rājaś ca vīryavān
dhṛṣṭaketuḥ:ドリシュタケートゥ(シシュパーラの子)
cekitānaḥ:チェキターナ(ヤーダヴァ族の戦士)
kāśi-rājaḥ:カーシ国(バラナシ)の王
ca:〜と
vīryavān:勇敢な、武勇に秀でた
→「ドリシュタケートゥ、チェキターナ、そして勇敢なカーシの王」

purujit kuntibhojaś ca śaibyaś ca nara-puṅgavaḥ
purujit:プルジット(クンティの親戚)
kuntibhojaḥ:クンティボージャ(クンティの養父)
ca:〜と
śaibyaḥ:シャイビャ王
nara-puṅgavaḥ:人中の傑士(nara=人、puṅgava=最上の者)
→「プルジット、クンティボージャ、そして人の中でも最も優れたシャイビャ王もいる」

1.6
yudhāmanyuś ca vikrānta uttamaujāś ca vīryavān
saubhadro draupadeyāś ca sarva eva mahā-rathāḥ

ユダーマニュシュ チャ ヴィクラーンタ ウッタマウジャーシュ チャ ヴィーリヤヴァーン
サウバドラ ドラウパデーヤーシュ チャ サルヴァ エーヴァ マハーラター

さらに、勇猛なるユダーマニュ、力強きウッタマウジャス、
スバドラの子(アビマニュ)、そしてドラウパディーの子ら、彼らは皆、偉大なる戦車戦士たちである。

yudhāmanyuś ca vikrāntaḥ uttamaujāś ca vīryavān
yudhāmanyuḥ:ユダーマニュ(パーンダヴァの側近戦士)
ca:〜と
vikrāntaḥ:非常に勇猛な、果敢な
uttamaujāḥ:ウッタマウジャス(パンチャーラ族の戦士)
ca:〜と
vīryavān:勇気に満ちた、力ある者
→「勇猛なるユダーマニュ、力あるウッタマウジャス」

saubhadraḥ draupadeyāś ca sarva eva mahā-rathāḥ
saubhadraḥ:スバドラの息子(=アビマニュ)
draupadeyāḥ:ドラウパディーの息子たち(5人兄弟)
ca:〜と
sarvaḥ eva:皆まさに
mahā-rathāḥ:偉大な戦車戦士たち(1万人に匹敵する戦士の称号)
→「アビマニュ、ドラウパディーの子らは、皆まさに偉大な戦車戦士たちである」

1.7
asmākaṁ tu viśiṣṭā ye tān nibodha dvijottama
nāyakā mama sainyasya saṁjñārthaṁ tān bravīmi te

アスマーカン トゥ ヴィシシュター イェー ターン ニボーダ ドゥヴィジョッタマ
ナーイヤカーママ サインヤッシャ サンニャールタン ターン ブラヴィーミ テー

さて今度は、我が軍における優れた者たちをお伝えしよう、
彼らは我が軍の指導者たちである。その名を、あなたに知らせよう、最上のバラモンよ。

asmākaṁ tu viśiṣṭāḥ ye tān nibodha dvija-uttama
asmākam:我々の(=ドリタラーシュトラ側、カウラヴァ軍)
tu:さて、しかし
viśiṣṭāḥ:特に優れた者たち
ye:彼らは(関係代名詞)
tān:彼らを
nibodha:知れ、理解せよ(命令形)
dvija-uttama:二度生まれし者(=バラモン)の最上者よ(ドローナに対する呼びかけ)
→「我が軍で特に優れた者たちを教えよう、バラモンの最上者よ、よく聞いてくれ」

nāyakā mama sainyasya saṁjñārthaṁ tān bravīmi te
nāyakāḥ:指導者たち、将軍たち
mama sainyasya:我が軍の
saṁjñā-artham:把握のために、名を知らせる目的で
tān bravīmi te:彼らのことを、あなたに語ろう(bravīmi=私は言う、te=あなたに)
→「彼らは我が軍の指揮官である。その名をあなたに知らせよう」

1.8
bhavān bhīṣmaś ca karṇaś ca kṛpaś ca samitiñ-jayaḥ
aśvatthāmā vikarṇaś ca saumadattis tathāiva ca

バヴァーン ビーシュマシュ チャ カルナシュ チャ クリパシュ チャ サミティンジャヤハ
アシュヴァッターマー ヴィカルナシュ チャ サウマダッティス タターイヴァ チャ

あなた(ドローナ)自身、そしてビーシュマ、カルナ、クリパといった戦に勝利する者たち、
アシュヴァッターマン、ヴィカルナ、サウマダッティの子もまた、そこに含まれます。

bhavān bhīṣmaś ca karṇaś ca kṛpaś ca samitiñ-jayaḥ
bhavān:あなた(敬称、主にドローナを指す)
bhīṣmaḥ:ビーシュマ(カウラヴァ軍の総司令)
ca:〜と
karṇaḥ:カルナ(偉大な戦士でクル家の異母兄弟)
kṛpaḥ:クリパ(ドローナの義兄弟、武芸師範)
samitiñ-jayaḥ:戦に勝利する者、戦術に長けた者
→「あなた自身、そしてビーシュマ、カルナ、クリパといった戦術に優れた者たち」

aśvatthāmā vikarṇaś ca saumadattis tathā eva ca
aśvatthāmā:アシュヴァッターマン(ドローナの息子)
vikarṇaḥ:ヴィカルナ(ドゥリヨーダナの弟)
ca:〜と
saumadattiḥ:サウマダッティの子(=ブーリシュラヴァス)
tathā eva:同様に
ca:また
→「アシュヴァッターマン、ヴィカルナ、そしてサウマダッティの子もまた」

1.9
anye ca bahavaḥ śūrā mad-arthe tyakta-jīvitāḥ
nānā-śastra-praharaṇāḥ sarve yuddha-viśāradāḥ

アニェー チャ バハヴァハ シューラー マダルテー ティヤクタ・ジーヴィターッハ
ナーナー・シャストラ・プラハラナーッハ サルヴェー ユッダ・ヴィシャーラダーッハ

他にも多くの勇士たちがいます。彼らは私のために命を捨てる覚悟を持ち、
様々な武器を手にし、すべてが戦の熟練者たちです。

anye ca bahavaḥ śūrāḥ mad-arthe tyakta-jīvitāḥ
anye:他の者たち
ca:〜もまた
bahavaḥ:多数の者たち
śūrāḥ:勇士たち、英雄たち
mad-arthe:私のために(mad=私、artha=目的)
tyakta-jīvitāḥ:命を捨てた者たち、命を投げうつ覚悟を持つ者たち
→「他にも、多くの勇敢な者たちが、私のために命を捨てる覚悟で集まっている」

nānā-śastra-praharaṇāḥ sarve yuddha-viśāradāḥ
nānā-śastra-praharaṇāḥ:様々な武器で武装した者たち
nānā=さまざまな、śastra=武器、praharaṇa=装備・道具
sarve:彼らすべては
yuddha-viśāradāḥ:戦に熟練した者たち(yuddha=戦争、viśārada=熟練者)
→「彼らは皆、様々な武器を携え、戦に熟練した者たちである」

1.10
aparyāptaṁ tad asmākaṁ balaṁ bhīṣmābhirakṣitam
paryāptaṁ tv idam eteṣāṁ balaṁ bhīmābhirakṣitam

アパルヤープタム タド アスマーカン バラム ビーシュマーヴィラクシタム
パルヤープタム トゥ イダム エーテーシャーン バラム ビーマーヴィラクシタム

我が軍勢は、ビーシュマによって守られているが、未だ十分とは言えぬ。
一方、彼らの軍勢は、ビーマによって守られていて、十分に整っている。

aparyāptam tad asmākam balaṁ bhīṣma-abhirakṣitam
aparyāptam:不十分な、限りある
tad:それ(ここでは軍勢を指す)
asmākam:我々の(カウラヴァ軍)
balaṁ:力、軍勢
bhīṣma-abhirakṣitam:ビーシュマによって守られている
→「我々の軍勢はビーシュマに守られているが、力はまだ不十分である」

paryāptam tu idam eteṣāṁ balaṁ bhīma-abhirakṣitam
paryāptam:十分な、整っている
tu:しかし、一方で
idam:この(軍勢)
eteṣām:彼らの(=パーンダヴァたちの)
balaṁ:力、軍勢
bhīma-abhirakṣitam:ビーマによって守られている
→「しかしこの彼らの軍勢は、ビーマによって守られており、十分である」

1.11
ayaneṣu ca sarveṣu yathā-bhāgam avasthitāḥ
bhīṣmam evābhirakṣantu bhavantaḥ sarva eva hi

アヤネーシュ チャ サルヴェーシュ ヤター・バーガム アヴァスティターッハ
ビーシュマム エーヴァーアビラクシャントゥ バヴァンタッハ サルヴァ エーヴァ ヒ

それゆえ、あなたがた皆は、各陣地においてそれぞれの持ち場に配置され、
ただひたすらにビーシュマを全力で守りなさい。

ayaneṣu ca sarveṣu yathā-bhāgam avasthitāḥ
ayaneṣu:配置・陣地において
ca:〜と
sarveṣu:すべての(場所)に
yathā-bhāgam:持ち場に応じて(yathā=〜に従い、bhāga=分担、役割)
avasthitāḥ:配置された者たち
→「あなたがた皆は、各自の持ち場において配置されており」

bhīṣmam eva abhirakṣantu bhavantaḥ sarva eva hi
bhīṣmam eva:ビーシュマただ一人を(eva=ただ〜だけを、強調)
abhirakṣantu:守りなさい(命令形・三人称複数)
bhavantaḥ:あなたがた(敬称、複数)
sarvaḥ eva hi:皆まさに
→「あなたがた皆は、全力でビーシュマを守るべきである」

1.12
tasya sañjanayan harṣaṁ kuru-vṛddhaḥ pitāmahaḥ
siṁha-nādaṁ vinadyoccaiḥ śaṅkhaṁ dadhmau pratāpavān

タスヤ サンジャナヤン ハルシャム クル・ヴリッダハ ピターマハ
シンハ・ナーダム ヴィナディ ウッチャイヒ シャンカン ダドマウ プラターパヴァーン

その時、クル族の長老であり威厳ある祖父ビーシュマは、
彼(ドゥリヨーダナ)に歓喜をもたらそうと、ライオンのような大音声を響かせ、貝を高らかに吹き鳴らした。

tasya sañjanayan harṣaṁ kuru-vṛddhaḥ pitāmahaḥ
tasya:彼の(=ドゥリヨーダナの)
sañjanayan:呼び起こしながら、奮い立たせつつ(現在分詞)
harṣam:歓喜、士気
kuru-vṛddhaḥ:クル族の長老
pitāmahaḥ:祖父(ここではビーシュマ)
→「ドゥリヨーダナに喜びを呼び起こすために、クル族の長老で祖父であるビーシュマは」

siṁha-nādaṁ vinadya uccaiḥ śaṅkhaṁ dadhmau pratāpavān
siṁha-nādam:ライオンの咆哮のような音
vinadya:鳴り響かせて(nad=鳴る、vinad=吠える)
uccaiḥ:高らかに、大きく
śaṅkham:シャーンカ(貝、戦いの合図)
dadhmau:吹き鳴らした(動詞、過去)
pratāpavān:威厳ある者(ビーシュマの形容)
→「ライオンのような轟きとともに、威厳あるビーシュマは貝を高らかに吹き鳴らした」

1.13
tataḥ śaṅkhāś ca bheryaś ca paṇavānaka-gomukhāḥ
sahasaivābhyahanyanta sa śabdas tumulo ‘bhavat

タタハ シャーンカーシュ チャ ベーリヤシュ チャ パナヴァーナカ・ゴームカーッハ
サハサイヴァーッビヤハニャンタ サ シャブダス トゥムローッバヴァット

すると、貝、太鼓、手拍鼓、戦鼓、牛角笛などが一斉に打ち鳴らされ、
その音は激しく轟くものとなった。

tataḥ śaṅkhāś ca bheryaś ca paṇava-ānaka-gomukhāḥ
tataḥ:その後、すると
śaṅkhāḥ:シャーンカ(戦いの合図となる貝)たち
ca:〜と
bheryaḥ:ベーリ(大太鼓)たち
paṇava-ānaka-gomukhāḥ:パナヴァ(手拍鼓)、アーナカ(戦鼓)、ゴームカ(牛角笛)
→「貝や太鼓、手拍鼓、戦鼓、牛角笛などの楽器が」

sahasā eva abhyahanyanta sa śabdaḥ tumulaḥ abhavat
sahasā eva:突然にまさに、一斉に
abhyahanyanta:打ち鳴らされた(複数受動過去)
sa śabdaḥ:その音は
tumulaḥ:激しい、轟くような
abhavat:〜となった(be 動詞の過去形)
→「突然一斉に鳴り響き、その音は激しく轟くものとなった」

1.14
tataḥ śvetair hayair yukte mahati syandane sthitau
mādhavaḥ pāṇḍavaś caiva divyau śaṅkhau pradadhmatuḥ

タタハ シュヴェータイル ハヤイル ユクテー マハティ シャンダネー スティタウ
マーダヴァハ パーンダヴァシュ チャイヴァ ディヴヤウ シャーンカウ プラダダムトゥフ

すると、白馬に引かれた偉大な戦車に立つマーダヴァ(クリシュナ)とパーンダヴァ(アルジュナ)は、
神聖な二つの貝を共に吹き鳴らした。

tataḥ śvetaiḥ hayaiḥ yukte mahati syandane sthitau
tataḥ:その後、次いで
śvetaiḥ hayaiḥ:白い馬たちに(śveta=白、haya=馬)
yukte:つながれた、牽かれた
mahati syandane:偉大な戦車に(syandana=戦車、mahati=大きな)
sthitau:立っていた(2名が立っていた)
→「白馬に引かれた偉大な戦車に立つ」

mādhavaḥ pāṇḍavaś ca eva divyau śaṅkhau pradadhmatuḥ
mādhavaḥ:マーダヴァ(クリシュナの呼称、「マドゥ族の子孫」)
pāṇḍavaḥ:パーンダヴァ(アルジュナ)
ca eva:そしてまさに
divyau:神聖な(2つのものにかかる双数形)
śaṅkhau:貝(シャーンカ)、双数(クリシュナとアルジュナが1つずつ)
pradadhmatuḥ:共に吹き鳴らした(双数、過去)
→「クリシュナとアルジュナは、それぞれ神聖な貝を吹き鳴らした」

1.15
pāñcajanyaṁ hṛṣīkeśo devadattaṁ dhanañjayaḥ
pauṇḍraṁ dadhmau mahā-śaṅkhaṁ bhīma-karmā vṛkodaraḥ

パーンチャジャンヤム フリシーケーショー デーヴァダッタム ダナンジャヤハ
パウンドラム ダドマウ マハー・シャーンカム ビーマ・カルマー ヴリコーダラハ

フリシーケーシャ(クリシュナ)は「パーンチャジャンヤ」
ダナンジャヤ(アルジュナ)は「デーヴァダッタ」
そして、狼の腹を持つ者ビーマは、大いなる貝「パウンドラ」を吹き鳴らした。

pāñcajanyam hṛṣīkeśaḥ devadattam dhanañjayaḥ
pāñcajanyam:パーンチャジャンヤ(クリシュナの貝の名前)
hṛṣīkeśaḥ:フリシーケーシャ(クリシュナの名、「感覚の主」)
devadattam:デーヴァダッタ(アルジュナの貝の名前)
dhanañjayaḥ:ダナンジャヤ(アルジュナの別名、「富を征服する者」)
→「クリシュナはパーンチャジャンヤを、アルジュナはデーヴァダッタを吹き鳴らした」

pauṇḍram dadhmau mahā-śaṅkham bhīma-karmā vṛkodaraḥ
pauṇḍram:パウンドラ(ビーマの貝の名)
dadhmau:吹き鳴らした(過去形)
mahā-śaṅkham:大いなる貝
bhīma-karmā:ビーマ・カルマー(恐るべき行為をなす者=ビーマの形容)
vṛkodaraḥ:ヴリコーダラ(ビーマの別名、「狼の腹を持つ者」)
→「ビーマは、大いなる貝パウンドラを、恐るべき力でもって吹き鳴らした」

1.16
anantavijayaṁ rājā kuntī-putro yudhiṣṭhiraḥ
nakulaḥ sahadevaś ca sughoṣa-maṇipuṣpakau

アナンタヴィジャヤム ラージャー クンティ・プトロ ユディシュティラハ
ナクラハ サハデーヴァシュ チャ スゴーシャ・マニプシュパカウ

クンティの息子、王ユディシュティラは「アナンタヴィジャヤ」、
ナクラとサハデーヴァは、それぞれ「スゴーシャ」と「マニプシュパカ」を吹き鳴らした。

anantavijayam rājā kuntī-putraḥ yudhiṣṭhiraḥ
anantavijayam:アナンタヴィジャヤ(ユディシュティラの貝の名前、「無限の勝利」)
rājā:王
kuntī-putraḥ:クンティの息子(=ユディシュティラ)
yudhiṣṭhiraḥ:ユディシュティラ(名は「戦いにおいて動じない者」)
→「クンティの息子である王ユディシュティラは、アナンタヴィジャヤを吹き鳴らした」

nakulaḥ sahadevaś ca sughoṣa-maṇipuṣpakau
nakulaḥ:ナクラ(双子の兄)
sahadevaḥ:サハデーヴァ(双子の弟)
ca:〜と
sughoṣa:スゴーシャ(ナクラの貝、「力強き響き」)
maṇipuṣpakaḥ:マニプシュパカ(サハデーヴァの貝、「宝石と花飾りの貝」)
→「ナクラとサハデーヴァは、それぞれスゴーシャとマニプシュパカを吹いた」

1.17
kāśyaś ca parameṣv-āsaḥ śikhaṇḍī ca mahā-rathaḥ
dhṛṣṭadyumno virāṭaś ca sātyakiś cāparājitaḥ

カーシャシュ チャ パラメーシュヴァーサハ シカンディー チャ マハーラタハ
ドリシュタデュムノ ヴィラータシュ チャ サーティヤキシュ チャーアパラージタハ

カーシの王で偉大な弓の使い手、シカンディーという偉大な戦士、
ドリシュタデュムナ、ヴィラータ、そして無敵のサーティヤキもまた、貝を吹いた。

kāśyaś ca parameṣv-āsaḥ
kāśyaḥ:カーシ国の王(バラナシ地方の王)
ca:〜も
parama-iṣu-āsaḥ:最高の弓の使い手(parama=最上級の、iṣu=矢、āsa=使う者)
→「カーシの王は、最上の弓使いでもある」

śikhaṇḍī ca mahā-rathaḥ
śikhaṇḍī:シカンディー(ドラウパディーの兄弟、転生者)
ca:〜と
mahā-rathaḥ:偉大な戦車戦士(1万人に匹敵する戦力)
→「シカンディーという偉大な戦士も」

dhṛṣṭadyumnaḥ virāṭaś ca sātyakiś ca aparājitaḥ
dhṛṣṭadyumnaḥ:ドリシュタデュムナ(ドラウパディーの兄、ドローナを倒す宿命の者)
virāṭaḥ:ヴィラータ(王、パーンダヴァが隠れていた地の支配者)
sātyakiḥ:サーティヤキ(クリシュナの側近、ヤーダヴァ族の戦士)
ca:〜も
aparājitaḥ:無敵の者、決して敗れぬ者
→「ドリシュタデュムナ、ヴィラータ、そして無敵のサーティヤキもまた」

1.18
drupado draupadeyāś ca sarvaśaḥ pṛthivī-pate
saubhadraś ca mahā-bāhuḥ śaṅkhān dadhmuḥ pṛthak pṛthak

ドゥルパドー ドラウパデーヤーシュ チャ サルヴァシャハ プリティヴィー・パテー
サウバドラシュ チャ マハー・バーフフ シャーンカーン ダドムフ プリタク・プリタク

ドゥルパダ王、そしてその娘ドラウパディーの息子たち全員、
さらに、強き腕を持つスバドラの息子(アビマニュ)も、それぞれの貝を個別に吹き鳴らした。

drupadaḥ draupadeyāḥ ca sarvaśaḥ pṛthivī-pate
drupadaḥ:ドゥルパダ王(パンチャーラ国の王)
draupadeyāḥ:ドラウパディーの息子たち(5人の兄弟)
ca:〜と
sarvaśaḥ:全員、すべての者たち
pṛthivī-pate:大地の支配者よ(呼びかけ、=ドリタラーシュトラ王)
→「ドゥルパダ王とその娘の息子たちは全員、(おお王よ)」

saubhadraḥ ca mahā-bāhuḥ śaṅkhān dadhmuḥ pṛthak pṛthak
saubhadraḥ:スバドラの息子(=アビマニュ)
ca:〜もまた
mahā-bāhuḥ:偉大な腕を持つ者、強き戦士
śaṅkhān:貝(複数)
dadhmuḥ:吹き鳴らした(複数・過去)
pṛthak pṛthak:それぞれに、個別に
→「力強きスバドラの息子(アビマニュ)もまた、皆それぞれ貝を吹き鳴らした」

1.19
sa ghoṣo dhārtarāṣṭrāṇāṁ hṛdayāni vyadārayat
nabhaś ca pṛthivīṁ caiva tumulo ‘bhyanunādayan

サ ゴーショー ダールタラーシュトラーナーム フリダヤーニ ヴヤダーラヤット
ナバシュ チャ プリティヴィーン チャイヴァ トゥムローッビヤヌナーダヤン

その轟音は、ドリタラーシュトラの子らの心を引き裂き、
空と大地にこだましながら、激しく響き渡った。

sa ghoṣaḥ dhārtarāṣṭrāṇām hṛdayāni vyadārayat
sa ghoṣaḥ:その音(=パーンダヴァ軍の貝の音)
dhārtarāṣṭrāṇām:ドリタラーシュトラの息子たちの(カウラヴァの)
hṛdayāni:心、胸
vyadārayat:引き裂いた、強く打ち震わせた(dar=裂く、分ける)
→「その音は、ドリタラーシュトラの子らの心を引き裂いた」

nabhaḥ ca pṛthivīṁ ca eva tumulaḥ abhyanunādayan
nabhaḥ:空
ca:〜と
pṛthivīm:大地
ca eva:〜もまたまさに
tumulaḥ:激しい、耳をつんざくような
abhyanunādayan:こだました、鳴り響いた(anu-nāda=共鳴する)
→「その音は空と大地に響き渡り、激しくこだました」

1.20
atha vyavasthitān dṛṣṭvā dhārtarāṣṭrān kapi-dhvajaḥ
pravṛtte śastra-sampāte dhanur udyamya pāṇḍavaḥ

ハタ ヴヤヴァスティターン ドリシュトヴァー ダールタラーシュトラーン カピ・ドヴァジャハ
プラヴリッテー シャストラ・サンパーテー ダヌル ウッディャムヤ パーンダヴァハ

その時、猿の旗印を掲げたパーンダヴァ(アルジュナ)は、
武器が交わされようとしているのを見て、ドリタラーシュトラの子らが陣取っているのを目にし、弓を持ち上げた。

atha vyavasthitān dṛṣṭvā dhārtarāṣṭrān kapi-dhvajaḥ
atha:その時
vyavasthitān:配置された、陣取った
dṛṣṭvā:見て(過去分詞)
dhārtarāṣṭrān:ドリタラーシュトラの息子たち(=カウラヴァ)を
kapi-dhvajaḥ:猿の旗を持つ者(=アルジュナ、ハヌマーンの印が旗に描かれている)
→「その時、猿の旗を掲げた者(アルジュナ)は、カウラヴァたちが陣取っているのを見て」

pravṛtte śastra-sampāte dhanur udyamya pāṇḍavaḥ
pravṛtte:始まろうとしている(進行しようとする)
śastra-sampāte:武器が交錯する戦い(śastra=武器、sampāta=投げ合い)
dhanus:弓
udyamya:持ち上げて、構えて(udyam=高く持ち上げる)
pāṇḍavaḥ:パーンダヴァ(ここではアルジュナ)
→「戦いが始まろうとしている中で、パーンダヴァ(アルジュナ)は弓を持ち上げた」

1.21
hṛṣīkeśaṁ tadā vākyam idam āha mahī-pate
senayor ubhayor madhye rathaṁ sthāpaya me ‘cyuta

フリシーケーシャン タダー ヴァーキャム イダム アーハ マヒー・パテー
セーナヨール ウバヨール マッディエ ラタン スターパヤ メー アチュタ

その時、地の王よ、パーンダヴァのアルジュナは、
フリシーケーシャ(クリシュナ)にこう語った——「両軍の間に、私の戦車を停めてください、アチュタよ」

hṛṣīkeśaṁ tadā vākyam idam āha mahī-pate
hṛṣīkeśam:フリシーケーシャ(「感覚の主」、クリシュナの別名)を
tadā:その時
vākyam idam:この言葉を
āha:言った(過去、三人称)
mahī-pate:地上の王よ(呼びかけ、=ドリタラーシュトラ)
→「地の王よ、その時アルジュナはクリシュナにこう語った」

senayor ubhayor madhye ratham sthāpaya me ‘cyuta
senayoḥ ubhayoḥ:両軍の間に
madhye:中央に
ratham:戦車を
sthāpaya:停めてください(命令形)
me:私のために
acyuta:アチュタ(「決して堕ちぬ者」、クリシュナの名)
→「アチュタよ、両軍の中央に私の戦車を停めてください」

1.22
yāvad etān nirīkṣe ‘haṁ yoddhu-kāmān avasthitān
kair mayā saha yoddhavyam asmin raṇa-samudyame

ヤーヴァド エターン ニリークシェーハン ヨッドゥ・カーマーン アヴァスティターン
カイール マヤー サハ ヨッドハヴヤム アスミン ラナ・サムウッダヤメ

私がこの戦いに臨む者たちをよく見極め、
誰と戦うべきかを知るために、彼らが陣取るのを見させてください。

yāvat etān nirīkṣe ‘ham yoddhu-kāmān avasthitān
yāvat:〜するまで
etān:これらの者たちを(対格)
nirīkṣe:私はよく見極めたい(nir-īkṣ=じっくり見る)
aham:私は
yoddhu-kāmān:戦いを望む者たちを(yoddhu=戦うこと、kāmān=望む)
avasthitān:配置された、陣取っている者たち
→「私が戦いを望み、陣取っているこれらの者たちをよく見極められるように」

kair mayā saha yoddhavyam asmin raṇa-samudyame
kair:誰と(複数・具格)
mayā saha:私と共に
yoddhavyam:戦わなければならない(受動の義務形)
asmin raṇa-samudyame:この戦いの激動において(raṇa=戦、samudyama=開始、奮起)
→「この戦の激動の中で、誰と戦わねばならないのか、見定めたいのです」

1.23
yotsyamānān avekṣe ‘haṁ ya ete ‘tra samāgatāḥ
dhārtarāṣṭrasya durbuddher yuddhe priya-cikīrṣavaḥ

ヨーツヤマーナーナーム アヴェークシェーハン ヤー エーテー アトラ サマーガターハ
ダールタラーシュトラスヤ ドゥルブッデール ユッデー プリヤ・チキールシャヴァハ

私は、戦おうとする者たちを見たい。
彼らはここに集まり、愚かなドリタラーシュトラの子のために、戦いを通じて好ましきことを為そうとしているのだ。

yotsyamānān avekṣe ‘ham ya ete atra samāgatāḥ
yotsyamānān:戦おうとしている者たち(未来分詞・複数)
avekṣe:私は見たい、観察したい(avekṣ=見る)
aham:私は
ya ete:これらの者たち(関係代名詞)
atra:ここに
samāgatāḥ:集まってきた者たち
→「ここに集い、戦おうとしているこれらの者たちを私は見極めたい」

dhārtarāṣṭrasya durbuddher yuddhe priya-cikīrṣavaḥ
dhārtarāṣṭrasya:ドリタラーシュトラの(属格)
durbuddheḥ:愚かな知性を持つ者の(dur=悪い、buddhi=知性)
yuddhe:戦いにおいて
priya-cikīrṣavaḥ:彼にとって好ましいことを為そうとする者たち(cikīrṣavaḥ=意図する者たち)
→「愚かな知性を持つドリタラーシュトラの子のために、戦いによって好ましきことをなそうとしている者たちを」

1.24
sañjaya uvāca
evam ukto hṛṣīkeśo guḍākeśena bhārata
senayor ubhayor madhye sthāpayitvā rathottamam

サンジャヤ ウヴァーチャ
エーヴァム ウクトー フリシーケーショー グダーケーシェナ バーラタ
セーナヨール ウバヨール マッディエ スターパヤイトヴァー ラトッタマム

サンジャヤは言った:
このように語られたとき、バーラタよ、フリシーケーシャ(クリシュナ)は、
両軍の中央に、最上の戦車を停めた。

sañjaya uvāca
sañjayaḥ:サンジャヤ(語り手)
uvāca:言った(過去三人称)
→「サンジャヤは言った」

evam uktaḥ hṛṣīkeśaḥ guḍākeśena bhārata
evam:このように
uktaḥ:言われた(過去受動)
hṛṣīkeśaḥ:フリシーケーシャ(クリシュナ、「感覚の主」)
guḍākeśena:グダーケーシャ(アルジュナの別名、「眠りを征服した者」)によって
bhārata:バーラタよ(ドリタラーシュトラへの呼びかけ、「バーラタ族の者よ」)
→「このようにアルジュナに言われた時、フリシーケーシャは、バーラタよ」

senayor ubhayor madhye sthāpayitvā rathottamam
senayoḥ ubhayoḥ:両軍の(処格・双数)
madhye:中央に
sthāpayitvā:停めて(sthāp=置く、の絶対分詞)
ratha-uttamam:最上の戦車を(ratha=戦車、uttama=最上の)
→「両軍の中央に最上の戦車を停めた」

1.25
bhīṣma-droṇa-pramukhataḥ sarveṣāṁ ca mahī-kṣitām
uvāca pārtha paśyaitān samavetān kurūn iti

ビーシュマ・ドローナ・プラムカタハ サルヴェーシャーム チャ マヒー・クシターン
ウヴァーチャ パールタ パッシャイターン サマヴェーターン クルーン イティ

ビーシュマやドローナをはじめとする、地上の王たちすべての面前で、
クリシュナはこう言った——「パールタよ、集結したクル族の者たちを見よ」と。

bhīṣma-droṇa-pramukhataḥ sarveṣāṁ ca mahī-kṣitām
bhīṣma-droṇa-pramukhataḥ:ビーシュマとドローナを先頭に(pramukha=先頭)
sarveṣām:すべての
mahī-kṣitām:地上の王たち(mahī=大地、kṣiti=支配者)
→「ビーシュマ、ドローナをはじめとする、すべての王たちの面前で」

uvāca pārtha paśya etān samavetān kurūn iti
uvāca:言った(三人称過去)
pārtha:パールタよ(アルジュナの呼び名、「プリターの子」)
paśya:見よ(命令形)
etān:これらの者たちを
samavetān:集まった、結集した
kurūn:クル族の者たち
iti:「〜と」(引用句の終わり)
→「パールタよ、集まったクル族の者たちを見よ」と言った

1.26
tatra paśyāt sthitān pārthaḥ pitṝn atha pitāmahān
ācāryān mātulān bhrātṝn putrān pautrān sakhīṁs tathā

タトラ パッシャート スティターン パールタハ ピトリーン アタ ピターマハーン
アーチャーリヤーン マートゥラーン ブラートリーン プトラーン パウトラーン サキーンス タター

そのとき、パールタ(アルジュナ)は、そこに立っている父たちや祖父たち、
師、叔父、兄弟、息子、孫たち、そして友人たちの姿を見た。

tatra paśyāt sthitān pārthaḥ pitṝn atha pitāmahān
tatra:そこに
paśyāt:見た(paśya=見る、過去三人称)
sthitān:立っている者たち
pārthaḥ:パールタ(アルジュナ)
pitṝn:父たち、父に相当する者たち(年長の親族も含む)
atha:そして
pitāmahān:祖父たち、祖先たち
→「パールタ(アルジュナ)は、そこに立っている父たちや祖父たちを見た」

ācāryān mātulān bhrātṝn putrān pautrān sakhīn tathā
ācāryān:師たち(=ドローナなど)
mātulān:母方の叔父たち
bhrātṝn:兄弟たち
putrān:息子たち
pautrān:孫たち
sakhīn:友人たち
tathā:また、そのように
→「また、師、叔父、兄弟、息子、孫、そして友人たちの姿も見た」

1.27
śvaśurān suhṛdaś caiva senayor ubhayor api
tān samīkṣya sa kaunteyaḥ sarvān bandhun avasthitān

シュヴァシュラーン スフリダシュ チャイヴァ セーナヨール ウバヨール アピ
ターン サミークシャ サ カウンテーヤハ サルヴァーン バンドゥーン アヴァスティターン

さらに彼は、両軍の中に自分の義父や親しい友人たちも見た。
カウンテーヤ(アルジュナ)は、そこに立ち並ぶすべての親族をよく見渡した。

śvaśurān suhṛdaḥ ca eva senayoḥ ubhayoḥ api
śvaśurān:義父たち(配偶者の父、およびその親族)
suhṛdaḥ:親しい友人たち
ca eva:〜もまたまさに
senayoḥ ubhayoḥ:両軍の
api:〜にも(強調)
→「彼はまた、両軍の中に義父や親しい友人たちの姿も見た」

tān samīkṣya sa kaunteyaḥ sarvān bandhūn avasthitān
tān:彼らを(親族たちを)
samīkṣya:よく見て、観察して
sa:その彼は
kaunteyaḥ:カウンテーヤ(クンティーの子、アルジュナ)
sarvān bandhūn:すべての親族たちを
avasthitān:そこに立っている者たちを
→「カウンテーヤ(アルジュナ)は、そこに立っているすべての親族たちを見渡した」

1.28
tān samīkṣya sa kaunteyaḥ sarvān bandhun avasthitān
kṛipayā parayāviṣṭo viṣīdann idam abravīt

ターン サミークシャ サ カウンテーヤハ サルヴァーン バンドゥーン アヴァスティターン
クリパヤー パラヤーヴィシュトー ヴィシーダン イダム アブラヴィート

アルジュナはそこに立ち並ぶすべての親族を見て、
深い憐れみの情に包まれ、打ちひしがれながら、このように語った。

tān samīkṣya sa kaunteyaḥ sarvān bandhūn avasthitān
tān:彼らを(=親族たちを)
samīkṣya:よく見て、観察して
sa:その彼(=アルジュナ)は
kaunteyaḥ:カウンテーヤ(クンティーの息子)
sarvān bandhūn:すべての親族たちを
avasthitān:立っているのを
→「クンティーの子アルジュナは、そこに立つすべての親族たちを見て」

kṛipayā parayā āviṣṭaḥ viṣīdan idam abravīt
kṛipayā:憐れみの念により
parayā:深い、極度の
āviṣṭaḥ:満たされた、圧倒された(受動分詞)
viṣīdan:悲嘆に暮れつつ、沈みながら(現在分詞)
idam:このことを
abravīt:語った、言った(過去)
→「深い憐れみに包まれ、悲嘆に沈みながら、彼はこう言った」

1.29
dṛṣṭvemaṁ sva-janaṁ kṛṣṇa yuyutsum samupasthitam
sīdanti mama gātrāṇi mukhaṁ ca pariśuṣyati

ドリシュトヴェーマン スヴァ・ジャナン クリシュナ ユユッツン サムウパスティタム
スィーダンティ ママ ガートラーニ ムカン チャ パリシュシュヤティ

クリシュナよ、戦おうとする身内が目の前に集まっているのを見て、
私の四肢は崩れ落ち、口は渇いてしまうのです。

dṛṣṭvā imam sva-janam kṛṣṇa yuyutsum samupasthitam
dṛṣṭvā:見て(dṛś=見る、過去分詞)
imam sva-janam:この身内を(sva-jana=自分の者、親族)
kṛṣṇa:クリシュナよ(呼びかけ)
yuyutsum:戦おうとしている者を(意志分詞)
samupasthitam:目の前に集まっている、目前に現れた
→「戦いを望んで目の前に集まるこの親族を見て、クリシュナよ」

sīdanti mama gātrāṇi mukhaṁ ca pariśuṣyati
sīdanti:崩れ落ちている、力が抜ける(gātra=四肢)
mama:私の
gātrāṇi:四肢
mukham:口
ca:〜もまた
pariśuṣyati:乾いていく、渇いてしまう
→「私の四肢は力を失い、口は渇いていくのです」

1.30
vepathuś ca śarīre me romaharṣaś ca jāyate
gāṇḍīvaṁ sraṁsate hastāt tvak caiva paridahyate

ヴェーパトゥシュ チャ シャリーレー メー ローマハルシャシュ チャ ジャーヤテー
ガーンディーヴァン スランサテー ハスタート トゥヴァック チャイヴァ パリダヒヤテー

身体は震え、鳥肌が立ち、
ガーンディーヴァ(私の弓)は手から滑り落ち、皮膚は焼けつくように熱いのです。

vepathuḥ ca śarīre me romaharṣaḥ ca jāyate
vepathuḥ:震え(身体的な震え)
ca:〜もまた
śarīre:身体に(処格)
me:私の
romaharṣaḥ:鳥肌、毛が逆立つ感覚
jāyate:起こっている、生じている(現在三人称)
→「私の身体は震え、鳥肌が立っている」

gāṇḍīvam sraṁsate hastāt tvak caiva paridahyate
gāṇḍīvam:ガーンディーヴァ(アルジュナの神聖な弓)
sraṁsate:滑り落ちている
hastāt:手から(hastāt=hasta+ablative)
tvak:皮膚
ca eva:〜もまた確かに
paridahyate:焼けつくように熱くなっている
→「弓は手から滑り落ち、皮膚は焼けるように熱くなっている」

1.31
na ca śaknomy avasthātuṁ bhramatīva ca me manaḥ
nimittāni ca paśyāmi viparītāni keśava

ナ チャ シャクノーミ アヴァスタートゥン ブラマティーヴァ チャ メー マナハ
ニミッターニ チャ パッシャーミ ヴィパリーターニ ケーシャヴァ

私はもう、ここに立っていられる気がしません。心は混乱し、
ケーシャヴァよ、凶兆ばかりが目に映ります。

na ca śaknomi avasthātum bhramati iva ca me manaḥ
na ca:〜できない、そして〜ない
śaknomi:私はできない(能力を表す動詞)
avasthātum:とどまること、立っていること
bhramati iva:まるで回っているように(bhram=回る、iva=〜のように)
ca:〜もまた
me manaḥ:私の心が
→「私はもう立っていられず、心はまるでぐるぐると混乱しています」

nimittāni ca paśyāmi viparītāni keśava
nimittāni:前兆、しるし(多くは吉兆を指すが、ここでは逆)
ca:〜も
paśyāmi:私は見ている
viparītāni:逆の、異常な、凶兆的な
keśava:ケーシャヴァ(クリシュナの名、「カーシャ(髪)を持つ者」)
→「ケーシャヴァよ、私は凶兆ばかりを見ているのです」

1.32
na kāṅkṣe vijayaṁ kṛṣṇa na ca rājyam sukhaṁ ca
kiṁ no rājyena govinda kiṁ bhogair jīvitena vā

ナ カーンクシェー ヴィジャヤン クリシュナ ナ チャ ラージャヤン スカン チャ
キン ノー ラージェーナ ゴーヴィンダ キン ボーガイル ジーヴィテーナ ヴァー

クリシュナよ、私は勝利も、王国も、快楽も望んでいません。
ゴーヴィンダよ、王国に何の意味がありましょう?快楽や命そのものに、何の価値がありましょうか?

na kāṅkṣe vijayaṁ kṛṣṇa na ca rājyam sukhaṁ ca
na kāṅkṣe:私は望まない
vijayam:勝利を
kṛṣṇa:クリシュナよ(呼びかけ)
na ca:〜もまた望まない
rājyam:王国(支配)
sukham ca:快楽もまた
→「クリシュナよ、私は勝利も、王国も、快楽も望んでいないのです」

kiṁ naḥ rājyena govinda kiṁ bhogaiḥ jīvitena vā
kiṁ:何の意味があるのか?
naḥ:我々にとって
rājyena:王国によって(具格)
govinda:ゴーヴィンダよ(クリシュナの名、「感覚を導く者」)
kiṁ:何の価値が
bhogaiḥ:快楽によって
jīvitena vā:命によってさえ
→「ゴーヴィンダよ、王国に何の意味がありましょう?快楽や命そのものに何の価値がありましょうか?」

1.33
yeṣām arthe kāṅkṣitaṁ no rājyam bhogāḥ sukhāni ca
ta ime ‘vasthitā yuddhe prāṇāṁs tyaktvā dhanāni ca

イェーシャーム アルテー カーンクシタム ノー ラージャム ボーガーハ スカーニ チャ
テー イメー アヴァスティター ユッデー プラーナーンス ティヤクトヴァー ダナーニ チャ

私たちが王国、快楽、幸福を求めてきたその人々こそ、
今ここに、戦いの場に立ち、命や財産を捨ててまで戦おうとしているのです。

yeṣām arthe kāṅkṣitam naḥ rājyam bhogāḥ sukhāni ca
yeṣām:彼らのために(関係代名詞)
arthe:〜の目的で、〜のために
kāṅkṣitam:望まれていた(kāṅkṣ=望む、願う)
naḥ:私たちにとって
rājyam:王国
bhogāḥ:享楽(感覚的な楽しみ)
sukhāni ca:幸福もまた
→「私たちが王国、享楽、幸福を求めてきたのは、彼らのためだったのに」

te ime avasthitāḥ yuddhe prāṇān tyaktvā dhanāni ca
te:彼らが
ime:今ここに
avasthitāḥ:立っている、陣取っている
yuddhe:戦場において
prāṇān:命を
tyaktvā:捨てて(tyaj=捨てる、離れる)
dhanāni ca:財産もまた
→「その彼らが今、命も財産も捨てて、戦場に立ち並んでいるのです」

1.34
ācāryāḥ pitaraḥ putrās tathaiva ca pitāmahāḥ
mātulāḥ śvaśurāḥ pautrāḥ śyālāḥ sambandhinas tathā

アーチャーリヤーハ ピタラーハ プトラーシュ タタイヴァ チャ ピターマハーハ
マートゥラー ハ シュヴァシュラー ハ パウトラー ハ シャヤーラーハ サンバンディナス タター

師たち、父たち、息子たち、そして祖父たちも、
母方の叔父、義父、孫たち、義兄弟、その他の親族たちもまた、ここにいるのです。

ācāryāḥ pitaraḥ putrāḥ tatha eva ca pitāmahāḥ
ācāryāḥ:師たち(たとえばドローナ)
pitaraḥ:父たち(または父のような親族)
putrāḥ:息子たち
tathā eva ca:同様に、またさらに
pitāmahāḥ:祖父たち、祖先たち
→「師たち、父たち、息子たち、そして祖父たちも」

mātulāḥ śvaśurāḥ pautrāḥ śyālāḥ sambandhinaḥ tathā
mātulāḥ:母方の叔父たち
śvaśurāḥ:義父たち(妻の父など)
pautrāḥ:孫たち
śyālāḥ:義兄弟たち(妻の兄弟など)
sambandhinaḥ:親族たち、縁者たち
tathā:また、同様に
→「母方の叔父、義父、孫、義兄弟、そしてその他の親族たちもまた」

1.35
etān na hantum icchāmi ghnato ‘pi madhusūdana
api trailokya-rājyasya hetoḥ kiṁ nu mahī-kṛte

エターン ナ ハントゥム イッチャーミ グナトーピ マドゥスーダナ
アピ トライローキャ・ラージャスヤ ヘートフ キン ヌ マヒー・クリテー

たとえ彼らが私を殺そうとしていたとしても、私は彼らを殺したくはない、マドゥスーダナよ。
三界の王国を得るためでさえ殺したくないのに、ましてやこの地上のためになど、なおさらです。

etān na hantum icchāmi ghnataḥ api madhusūdana
etān:これらの者たちを(彼の親族・師・友人など)
na:〜したくない
hantum:殺すことを(infinitive)
icchāmi:私は望まない
ghnataḥ api:たとえ彼らが私を殺そうとしても
madhusūdana:マドゥスーダナよ(クリシュナの名、「魔王マドゥを滅ぼした者」)
→「たとえ彼らが私を殺そうとしていても、マドゥスーダナよ、私は彼らを殺したくない」

api trailokya-rājyasya hetoḥ kiṁ nu mahī-kṛte
api:たとえ〜でも
trailokya-rājyasya:三界の王国(天界・地上・地下界の支配権)
hetoḥ:そのためであっても
kiṁ nu:ましてや〜なおさらそうだ
mahī-kṛte:この地上のために(mahī=地、kṛte=目的のために)
→「三界の王国を得るためであっても殺したくないのに、ましてや地上の王国のためにどうして殺せようか?」

1.36
nihatya dhārtarāṣṭrān naḥ kā prītiḥ syāj janārdana
pāpaṁ evāśrayed asmān hatvaitān ātatāyinaḥ

ニハティヤ ダールタラーシュトラーン ナハ カー プリーティフ スヤージャナールダナ
パーパン エーヴァーシュラヤェード アスマーン ハトヴァイターン アータターヨナハ

ジャナールダナよ、ドリタラーシュトラの子らを殺して、私たちに何の喜びがあるでしょうか?
彼らを殺せば、私たちが手にするのはただ罪だけです。たとえ彼らが侵略者であっても。

nihatya dhārtarāṣṭrān naḥ kā prītiḥ syāt janārdana
nihatya:殺して(ni-han=打ち倒す、絶対分詞)
dhārtarāṣṭrān:ドリタラーシュトラの子らを(カウラヴァたち)
naḥ:我々にとって
kā:何の
prītiḥ:喜び、満足
syāt:あるだろうか(optative=可能性の仮定)
janārdana:ジャナールダナよ(クリシュナの名、「人々の苦しみを取り除く者」)
→「ドリタラーシュトラの子らを殺して、我々に何の喜びがあるでしょうか、ジャナールダナよ」

pāpaṁ eva āśrayet asmān hatvā etān ātatāyinaḥ
pāpam eva:ただ罪だけを
āśrayet:得るであろう、もたらすであろう(optative)
asmān:私たちに
hatvā:殺すことで(絶対分詞)
etān:彼らを
ātatāyinaḥ:アータターヨナハ(侵略者、攻撃を仕掛けてくる者)
→「たとえ彼らが侵略者であったとしても、彼らを殺すことで我々が得るのは罪だけでしょう」

1.37
tasmān nārhā vayam hantuṁ dhārtarāṣṭrān sa-bāndhavān
sva-jānam hi kathaṁ hatvā sukhinaḥ syāma mādhava

タスマーン ナールハー ヴヤム ハントゥン ダールタラーシュトラーン サ・バーンダヴァーン
スヴァ・ジャナン ヒ カタム ハトヴァー スキナハ スヤーマ マーダヴァ

だからこそ、私たちはドリタラーシュトラの子らとその親族を殺すべきではありません。
マーダヴァよ、どうして自分の身内を殺しておいて、私たちが幸福でいられるでしょうか?

tasmāt nārhāḥ vayam hantuṁ dhārtarāṣṭrān sa-bāndhavān
tasmāt:だから、ゆえに
nārhāḥ:〜にふさわしくない、〜すべきでない
vayam:私たちは
hantum:殺すこと(不定詞)
dhārtarāṣṭrān:ドリタラーシュトラの息子たちを
sa-bāndhavān:その親族も共に
→「だから私たちは、ドリタラーシュトラの子らとその親族を殺すべきではありません」

sva-jānam hi kathaṁ hatvā sukhinaḥ syāma mādhava
sva-jānam:自分の身内を
hi:確かに(強調)
kathaṁ:どうして
hatvā:殺して(絶対分詞)
sukhinaḥ syāma:私たちは幸福であろうか?(syāma=仮定法、「〜であろうか」)
mādhava:マーダヴァよ(クリシュナの名、「マドゥ族の子孫」)
→「マーダヴァよ、どうして自分の親族を殺しておいて、私たちが幸福になれるでしょうか?」

1.38
yadyapy ete na paśyanti lobhopahata-cetasaḥ
kula-kṣaya-kṛtaṁ doṣaṁ mitra-drohe ca pātakam

ヤッディャピ エーテー ナ パッシャンティ ローバ・ウパハタ・チェータサハ
クラ・クシャヤ・クリタム ドーシャム ミトラ・ドローへ チャ パータカム

たとえ彼らが、欲に心を曇らされ、
一族の滅亡がもたらす罪や、友を裏切ることの過ちを見ていないとしても——

yadyapi ete na paśyanti lobha-upahata-cetasaḥ
yadyapi:たとえ〜であっても
ete:彼らは
na paśyanti:見ていない、理解していない
lobha-upahata-cetasaḥ:欲に取り憑かれた心(lobha=貪欲、upahata=打たれた、曇った、cetas=心)
→「たとえ彼らが、貪欲に支配されて心が曇り、物事を見極められなくなっていても」

kula-kṣaya-kṛtam doṣam mitra-drohe ca pātakam
kula-kṣaya-kṛtam:一族の滅亡がもたらす(kula=家系・一族、kṣaya=滅亡、kṛtam=起こす)
doṣam:過ち、罪
mitra-drohe:友への裏切り(droha=害をなす、裏切り)
ca:そして
pātakam:重大な罪
→「一族の滅びや、友を裏切ることの罪を彼らが理解していなくても」

1.39
kathaṁ na jñeyam asmābhiḥ pāpād asmān nivartitum
kula-kṣaya-kṛtaṁ doṣaṁ prapaśyadbhir janārdana

カタム ナ ジュニェーヤム アスマービヒ パーパード アスマーン ニヴァルティトゥム
クラ・クシャヤ・クリタム ドーシャム プラパッシャッドビヒ ジャナールダナ

しかし、ジャナールダナよ、罪の結果を知る私たちは、
一族の滅亡によってもたらされる過ちから離れるべきではないのでしょうか?

kathaṁ na jñeyam asmābhiḥ pāpāt asmāt nivartitum
kathaṁ:どうして〜ないだろうか?
na jñeyam:理解されるべきではないのか?(jñeya=理解されるべきこと)
asmābhiḥ:私たちによって
pāpāt:罪から
asmāt:この(今の、=この行為の)
nivartitum:退くこと、離れること
→「どうして私たちがこの罪から退くべきだと理解しないことがあるだろうか?」

kula-kṣaya-kṛtaṁ doṣaṁ prapaśyadbhir janārdana
kula-kṣaya-kṛtam:一族の滅亡がもたらす
doṣam:罪・過ち
prapaśyadbhir:それを明確に見ている者たちによって(現在分詞)
janārdana:ジャナールダナよ(クリシュナの名、「人々を守護する者」)
→「一族の滅亡による罪を明確に理解している私たちが、ジャナールダナよ」

1.40
kula-kṣaye praṇaśyanti kula-dharmāḥ sanātanāḥ
dharme naṣṭe kulaṁ kṛtsnam adharmo ‘bhibhavaty uta

クラ・クシャイェ プラナシャヤンティ クラ・ダルマー ハ サナータナーハ
ダルメー ナシュテー クラン クリツナム アダルモー アビバヴァティ ウタ

一族が滅びれば、その永遠の義務(家の掟)もまた消えてしまう。
そして義が失われるとき、不義が一族全体を支配するようになるのだ。

kula-kṣaye praṇaśyanti kula-dharmāḥ sanātanāḥ
kula-kṣaye:一族の滅亡において
praṇaśyanti:消滅する、失われる
kula-dharmāḥ:一族の掟、伝統、宗法
sanātanāḥ:永遠の(変わらぬ)
→「一族が滅びれば、その永遠の掟もまた失われてしまう」

dharme naṣṭe kulaṁ kṛtsnam adharmaḥ abhibhavati uta
dharme:義(ダルマ)が
naṣṭe:失われたとき
kulaṁ kṛtsnam:一族全体
adharmaḥ:不義、不道徳
abhibhavati:覆い支配する、勝る
uta:まさに、本当に
→「ダルマが失われれば、不義がまさに一族全体を支配するようになる」

1.41
adharme ‘bhibhavāt kṛṣṇa praduṣyanti kula-striyaḥ
strīṣu duṣṭāsu vārṣṇeya jāyate varṇa-saṅkaraḥ

アダルメー ビバヴァート クリシュナ プラドゥシャヤンティ クラ・ストリヤハ
ストリシュ ドゥシュターシュ ヴァールシュネーヤ ジャーヤテー ヴァルナ・サンカラハ

クリシュナよ、不義が支配するようになると、一族の女性たちは堕落します。
そして女性が堕落すれば、ヴァールシュネーヤよ、混血(社会秩序の混乱)が生まれます。

adharme abhibhavāt kṛṣṇa praduṣyanti kula-striyaḥ
adharme:不義(アダルマ)が
abhibhavāt:支配することによって
kṛṣṇa:クリシュナよ(呼びかけ)
praduṣyanti:堕落する、汚される
kula-striyaḥ:一族の女性たち
→「クリシュナよ、不義が支配すれば、一族の女性たちは堕落してしまいます」

strīṣu duṣṭāsu vārṣṇeya jāyate varṇa-saṅkaraḥ
strīṣu:女性たちが
duṣṭāsu:堕落したとき
vārṣṇeya:ヴァールシュネーヤよ(ヴリシュニ族の子孫=クリシュナの呼称)
jāyate:生じる、生まれる
varṇa-saṅkaraḥ:ヴァルナ(カースト)の混合=混血、社会秩序の乱れ
→「女性が堕落すれば、ヴァールシュネーヤよ、混血が生じてしまいます」

1.42
saṅkaro narakāyaiva kula-ghnānāṁ kula-sya ca
patanti pitaro hy eṣāṁ lupta-piṇḍodaka-kriyāḥ

サンカロ ナラカーヤ イーヴァ クラグナーナーム クラッスヤ チャ
パタンティ ピタロ ヒ エーシャーム ルプタ・ピンドーダカ・クリヤーハ

混血は、まさに一族を滅ぼす者たちとその家にとって地獄への道となる。
儀式が絶たれたために、祖先たちは堕ちていくのです。

saṅkaraḥ narakāya eva kula-ghnānāṁ kula-sya ca
saṅkaraḥ:混血、社会秩序の乱れ
narakāya:地獄への(目的格)
eva:まさに、確かに
kula-ghnānām:一族を滅ぼす者たちの(ghna=殺す、滅ぼす)
kulasya ca:その家系の(そしてその一族の)
→「混血は、一族を滅ぼす者たちとその家にとって、まさに地獄をもたらす」

patanti pitaro hi eṣām lupta-piṇḍodaka-kriyāḥ
patanti:堕ちる、落ちていく
pitaro:祖先たちは
hi:まことに(強調)
eṣām:彼らの(この一族の)
lupta-piṇḍodaka-kriyāḥ:ピンダ(供物)と水の儀式が絶たれたことにより
→「儀式が絶えたため、彼らの祖先たちは地に堕ちていくのです」

1.43
doṣair etaiḥ kula-ghnānāṁ varṇa-saṅkara-kārakaiḥ
utsādyante jāti-dharmāḥ kula-dharmāś ca śāśvatāḥ

ドーシャイル エータイヒ クラグナーナーム ヴァルナ・サンカラ・カールカイヒ
ウツサーディャンテ ジャーティ・ダルマー ハ クラ・ダルマーシュ チャ シャーシュヴァターハ

このような一族を滅ぼす者たちによる混血の原因となる罪によって、
永遠のカーストの掟も家の掟も、すべて廃れてしまうのです。

doṣaiḥ etaiḥ kula-ghnānāṁ varṇa-saṅkara-kārakaiḥ
doṣaiḥ:過ち、罪(複数・具格)
etaiḥ:これらの(原因となる)
kula-ghnānām:一族を滅ぼす者たちの
varṇa-saṅkara-kārakaiḥ:カースト混合をもたらすものによって(kāraka=原因・行為者)
→「これらの一族を滅ぼす者たちによって引き起こされる混血という過ちによって」

utsādyante jāti-dharmāḥ kula-dharmāḥ ca śāśvatāḥ
utsādyante:打ち壊される、滅ぼされる(受動・複数)
jāti-dharmāḥ:生まれによる掟(=ヴァルナや職業・種族の義務)
kula-dharmāḥ:家系・家族に伝わる義務
ca:〜と
śāśvatāḥ:永遠の、伝統的な
→「永遠のカーストの掟と家の掟が、すべて廃れてしまうのです」

1.44
utsanna-kula-dharmāṇāṁ manuṣyāṇāṁ janārdana
narake niyataṁ vāso bhavatīty anuśuśruma

ウツサンナ・クラ・ダルマーナーム マヌシャーナーム ジャナールダナ
ナラケー ニヤタム ヴァーソー バヴァティーッティ アヌシュシュルマ

ジャナールダナよ、一族の掟を失った人々には、
地獄に定められた住まいが待っていると、私たちは聞いております。

utsanna-kula-dharmāṇām manuṣyāṇām janārdana
utsanna:失われた、崩壊した
kula-dharmāṇām:一族の義務・掟の(複数属格)
manuṣyāṇām:人々の
janārdana:ジャナールダナよ(クリシュナの名、「人々の守護者」)
→「一族の掟を失った人々にとっては、ジャナールダナよ」

narake niyataṁ vāsaḥ bhavati iti anuśuśruma
narake:地獄において
niyatam:定められた、永続的な
vāsaḥ:住まい、存在
bhavati:ある、起こる
iti:〜と(引用)
anuśuśruma:私たちは聞いてきた(聞き伝えてきた)
→「地獄に永続的な住まいがあると、私たちは聞いております」

1.45
aho bata mahat pāpaṁ kartuṁ vyavasitā vayam
yad rājyasukha-lobhena hantuṁ svajanaṁ udyatāḥ

アホー バタ マハット パーパン カルトゥン ヴヤヴァシター ヴヤム
ヤッド ラージャ・スカ・ローベーナ ハントゥン スヴァジャナン ウッディヤター

ああ、なんということだ!
私たちは王国の快楽への欲によって、自らの身内を殺すという大きな罪を犯そうとしている!

aho bata mahat pāpam kartuṁ vyavasitā vayam
aho bata:ああ、なんということか!(強い嘆き・驚きの表現)
mahat pāpam:大きな罪
kartum:行うこと(不定詞)
vyavasitāḥ:決意した、着手しようとしている
vayam:私たちは
→「ああ、なんということだ!私たちは大きな罪を犯そうとしている!」

yad rājyasukha-lobhena hantuṁ svajanam udyatāḥ
yad:〜というのは
rājyasukha-lobhena:王国の快楽への欲によって(rājya=王国、sukha=快楽、lobha=欲望)
hantum:殺すために
svajanam:自分の親族・身内を
udyatāḥ:準備した、向かっている、取りかかろうとしている
→「それは、王国の快楽への欲によって、自らの身内を殺そうとしているということだ」

1.46
yadi mām apratīkāram aśastraṁ śastra-pāṇayaḥ
dhārtarāṣṭrā raṇe hanyus tan me kṣemataraṁ bhavet

ヤディ マーム アプラティーカーラム アシャストラム シャストラ・パーニヤハ
ダールタラーシュトラー ラネー ハンユス タン メー クシェマタラン バヴェート

もしも武器を持たない私を、無抵抗のまま戦場で、
武器を手にしたドリタラーシュトラの子らが殺すのなら、それこそが私にはむしろ安らぎとなるでしょう。

yadi mām apratīkāram aśastram śastra-pāṇayaḥ
yadi:もしも
mām:私を
apratīkāram:無抵抗の、反撃しないで
aśastram:武器を持たないで
śastra-pāṇayaḥ:武器を手にした者たちが
→「もしも武器を持たない、無抵抗の私を、武器を手にした者たちが」

dhārtarāṣṭrāḥ raṇe hanyuḥ tan me kṣemataraṁ bhavet
dhārtarāṣṭrāḥ:ドリタラーシュトラの子らが
raṇe:戦場で
hanyuḥ:殺すのなら(仮定法)
tat:それは
me:私にとって
kṣemataraṁ:より良い、より安らぎとなる(kṣema=平安、安らぎ)
bhavet:〜であろう(仮定法)
→「戦場で私を殺すのなら、それこそが私にとってより安らぎとなるでしょう」

1.47
evaṁ uktvārjunaḥ saṅkhye rathopastha upāviśat
visṛjya sa-śaraṁ cāpaṁ śoka-saṁvigna-mānasaḥ

エーヴァム ウクトヴァー アルジュナハ サンキイェー ラトーパスタ ウパーヴィシャット
ヴィスリジャ サ・シャラン チャーパン ショーカ・サンヴィグナ・マーナサハ

このように語ったアルジュナは、戦場で戦車の中に腰を下ろし、
矢をつがえた弓を手放して、悲しみに心を乱していた。

evaṁ uktvā arjunaḥ saṅkhye ratha-upastha upāviśat
evaṁ uktvā:このように言ってから(uktvā=言って、evaṁ=このように)
arjunaḥ:アルジュナは
saṅkhye:戦場において
ratha-upastha:戦車の中に(upastha=座席)
upāviśat:腰を下ろした、座り込んだ(過去)
→「このように言ってアルジュナは、戦場の戦車の中に座り込んだ」

visṛjya sa-śaram cāpam śoka-saṁvigna-mānasaḥ
visṛjya:手放して(visṛj=投げ捨てる、解く)
sa-śaram:矢をつがえた
cāpam:弓を
śoka-saṁvigna-mānasaḥ:悲しみに乱された心で(śoka=悲しみ、saṁvigna=動揺した、mānasaḥ=心)
→「矢をつがえた弓を手放し、心は悲しみにかき乱されていた」

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