焦点を失うとき
困難が訪れると、焦点は完全に失われてしまいます。
何かを欲すると、それにマインドが向かい、ただそれを手に入れたくなります。
でも、それを得ようとすると、結局は惨めな気持ちになるんです。
それは心地よくはないのですが、同時に、エゴが望んでいることでもある。
つまり、エゴはその惨めさを欲しているようなものなのです。
そして、気づくのです。
自分が惨めなのは、この“つながり”を忘れていたからだ、と。
実は、自分からそのつながりを手放してしまっていたのだと気づくのです。
だから、もう一度焦点を定め直さないといけない。
探し続けた日々
私はこの世界の中にいて、ずっと何かを探し求めていました。
それは時に怖ささえありました。
何を探しているかも分からずに、ただ何かを得ようと外の世界を彷徨っていたのです。
おそらく、私が本当に求めていたのは、「誰かと親しくあること」「誰かと近くにいること」だったと思います。
それは、他人が私に与えてくれるものだと信じていました。
だから私は人々を求め、探し続けていたけれど、
結局それは一度もうまくいきませんでした。
グルジとの出会いがもたらした変化
今ではグルジ(Guruji)が私の人生にいて、私のマインドはいまだに何かを探し続けています。
でもそれは、ただの「癖」なんです。
今では少し分別ができるようになってきました。
私が自分の内側で求めていたものは、すでに満たされていると気づいたからです。
もう探すものなんて何もない。
だって、つながりを与えてくれるのはグルジであり、
「誰かと一緒にいる」という感覚を与えてくれるのも、グルジだからです。
その感覚は、大きな力を与えてくれます。
家族とグルジとの関係
私は帰依者の家庭に育ちました。
父は 15 年間の帰依者で、母は当初そこまで熱心ではなかったけれど、
2週間ほど前にディクシャ(帰依の儀式)を受けました。
グルジを中心とした、家族全体の大きな変容があったのです。
家のキッチンにはグルジの写真があり、
私たちはドイツの SPN(Shree Peetha Nilaya)へ行き、祝祭に参加していました。
でも、友達を家に招くことはなかなかできませんでした。
私の家はヒンドゥー寺院のようで──厳密には違うけれど、
“何か違う”という雰囲気は確かにありました。
思春期と内なる葛藤
父は若い頃からヨガを実践していて、
私たちは肉も卵も食べない家庭でした。
その影響で「他と違う」というのは感じていました。
一番怖かったのは、「グルジが私の思考を見ている」という感覚でした。
私の思考はとても純粋ではなかったので、怖くてたまらなかった。
“いいことを考えなきゃ”とマインドで頑張ってみるけれど、それもできず、
私はただ隠れようとしていました。
親との距離と自由への憧れ
4年間、ダンスのコンセルヴァトワール(音楽舞踊専門学校)に通い、
その間、両親との距離は離れました。
私はとても好奇心旺盛で、エレクトロニック・ミュージックが好きで、
テクノのイベントに出かけたり、ギャラリーのオープニングに行ったり、
大学生がやるような “普通のこと” を楽しんでいました。
でも、振り返ってみると、私を引き止める “何か” がありました。
私はドラッグが怖かったし、あまりお酒も飲みませんでした。
でもタバコは吸っていた。
心の中では「自分には何か問題があるんじゃないか」と思っていました。
“楽しいはずのことなのに、なぜ怖いのか?”と、自分を無理に押し込もうとさえしていたのです。
たぶんそれは、私が育った“禁欲”の価値観──喫煙すら受け入れられない環境──の影響だったのかもしれません。
初めてのアートマ・クリヤと変化
当初、私はグルジを「支配的な存在」だと感じていました。
ドイツまで 10 時間かけて行かなくちゃいけないし、
サリーを着るのにもすごく時間がかかって大変……そんな外面的なことが障害でした。
でも、受け入れがやって来たときは、それは「バンッ!」というほどの衝撃でした。
20 歳のとき、父に「アートマ・クリヤ・ヨーガの瞑想をやってみないか?」と聞かれ、
「毎日やる瞑想なら、何かしらのモチベーションになるかも」と思って始めました。
毎日実践しても何も起きず、私は以前と変わらず
バーで働いたり、パーティーに行ったり、タバコを吸ったり、普通の若者の生活を続けていました。
でも3か月ほど経ったとき、
その環境が嫌になっていきました。
仕事では偏頭痛が出るようになり、
パーティーでは不安発作を起こし、
何が起きているのか自分でも分かりませんでした。
体の中のエネルギーをより感じるようになり、
周囲を観察する意識も高まり、
それまで選んできた世界が、意味をなさなくなっていったのです。
私はパーティーに行くのをやめ、仕事も辞めました。
グルジとの“再会”
私は父にこのことを話しました。
すると父は言いました。
「グルジはお前が小さい頃からそばにいたよ。
アートマ・クリヤを授けてくれたのもグルジだ。
もしかすると、お前とグルジの間に何かつながりがあるのかもしれない」
その瞬間、私は大きな気づきを得ました。
泣きました。すべてが、やっとつながったように思えたのです。
その後、私はサマー・サンガに参加し、数か月のうちにディクシャを受けて帰依者になりました。
そのときの「渇望」はあまりに大きくて、自分でも圧倒されるほどでした。
夢の中のグルジと癒し
あるとき、夢の中にグルジが現れました。
まるで親友のように、ただ二人で並んでいる──何も起きない、ただ一緒にいる夢。
それが私にとって最も記憶に残る夢のひとつです。
グルジは自らをとても小さな存在にして、
私が「親友だ」と感じられるようにしてくださったのです。
私は深い “つながり” を避けていました。
いくつかの習慣について罪悪感を感じていたからです。
でも、グルジはそれを越えて、「今すでにあるこのつながりが最も大切なんだ」と教えてくれました。
そのことは、私にとって大きな癒しとなり、手放すことへの準備ができるようになりました。
新しい自分へ
今、私は 22 歳。
サリーを着てプージャ(祈り)を楽しみにする自分がいます。
もうここを離れたくありません。
もしグルジが私をあのまま“外の世界”に置いていたら、どうなっていたか想像もつきません。
今、私は本当に喜びを感じています。
グルジは私に気づきを与え、マインドを静かにし、ハートを強くしてくださいました。
今ではもう、周囲の世界に引き戻されることへの心配も、あまりありません。
そして私は、グルジが試練を与えてくれることにも感謝しています。
なぜなら、そのたびに私はより強くなれるからです。