ここにあるのは、最も卓越したマントラのひとつです。
もちろんサンスクリットには多くのマントラがありますが、王のマントラと称されるのがガーヤトリー・マントラです。
私たちの日々の祈りの多くは、ガーヤトリー・マントラなしでは完結しません。
ガーヤトリーは「深い導き」を持ちます。
ここで言う「ガーヤトリー」は、人ではなくマントラそのものを指しています。
あなたがよくご存じのように、マントラの力、そしてガーヤトリー・マントラの意味には計り知れない深さがあります。
まず「オーム(ॐ)」です。
これは宇宙的な音であり、全てがそれによって振動しています。
そして、実はあらゆるものは「オーム」そのものなのです。
内面の沈黙の中でただ「オーム」と唱える、その響きと共に、呼吸や第三の眼にそれを合わせると、まさに神そのものを体現します。
『バガヴァッド・ギーター』第6章(瞑想の章)にも記されています。
オームを唱えること自体が、至高者と何ら違いません。
その状態、それがあなたの存在であり、創造そのものの満ち満ちた状態なのです。
まるで夜明けのように、暗闇が消え、光が現実を照らしてくれます。
心の眠り、マインドの薄明の中にいたとしても、ガーヤトリー・デーヴィー(女神)はこのマントラの中で知性を光らせてくれるのです。
たとえ知識があっても、それは「悟り」にはなりません。
私たちはこのマントラの中で「私の知性を啓発してください」と祈るのです。
そうすることで、ハートが目覚め、真の叡智がそこに埋め込まれます。
そうでなければ、マインドやエゴが忍び込み、混乱に陥ってしまいます。
『バガヴァッド・ギーター』第6章3節でも、「悟りへの憧れを持つ者が努力しなければならない」と説明されています。
努力なしに高みは得られません。
それは、至高の喜びや“悟り”の状態に至るための道であり、努力と行動(サーダナ)があってこそ辿り着けるものなのです。
一方で、既に至高の境地を得た者は、安らぎの中に座し、心を完全に制御しています。
まるで調教された馬のように、心が制御されれば、好きな時にどこへでも導き、任せることができるからです。これは正に“心のマスター”です。
だからこそ、ガーヤトリー・マントラを唱えるときには、
「どうかデーヴィー(女神)、私の知性を啓発し、心を制御させてください。
あなたの御足へと、確かに届く魂になりたいのです」
という謙虚な祈りを込めて唱える必要があります。
このマントラの振動は、ただ唱えるだけでなく、私たちの身体やDNAのレベルで共鳴し、周囲の自然界──湖に棲む魚や木々、他者の心にも、知らず知らずのうちに良い影響を与えるのです。
あなたの祝福ある詠唱は、他者にも恵みをもたらします。