動画概要欄より
2017年晩春、パラマハンサ・シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダがカリフォルニア州ロングビーチにある帰依者の家を訪れた際のサットサング(霊的な集まり)での抜粋です。
この非常に神聖な集いの中で、グルジは素晴らしい霊的な講話を行い、「オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ(Om Namo Narayanaya)」の意味について、まずその場にいた人々に問いかけるところから始まりました。
そしてその後、グルジは「マハー・マントラ(Maha Mantra)」の奥深さへと踏み込み、この複雑で深遠なマントラを理解するには、その各要素を一つひとつ理解していく必要があると語り、その意味と力の深さに触れました。
動画翻訳
Jai Gurudev
ここに来られて本当にうれしいです。
さきほど、ティムが「オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ(Om Namo Narayanaya)」について話していましたね。
そして、彼は皆さんに「この意味は分かりますか?」と質問しましたよね。
皆さん、答えましたか?私は答えが聞こえなかったのですが。
—サティが答えました。
—サティ?どんな答えだったんですか?
—「すべての存在に内在し、すべてが宿る主への私の礼拝です。」
よくできました。
このマントラ「オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ」は、まず「AUM(オーム)」のそれぞれの音に意味があります。
- 「A」はナーラーヤナ(Narayana、至高の主)を表します。
- 「U」はマハーラクシュミー(Maha Lakshmi、創造を象徴する女神)を表します。
- 「M」はジーヴァートマー(jīva-ātmā、魂)を象徴します。
「ナモー(Namo)」は、「ナ・マ」、つまり「私のものではない」という意味です。
これは「何ひとつ自分の所有物ではない」「私は人生の主人ではない」ということを示しています。
もし本当に自分が人生の主人なら、好きなようにすべてをコントロールできるはずですよね?
でも現実はそうではありません。
現代では「私は自分自身の主人だ」と言う人が多いですが、本当にそうでしょうか?
たとえば、あなたが何かを好きでないとして、私が「それを好きになってください」と言って、あなたが本当に好きになれるでしょうか?
それができないということは、私たちは「真の主人」ではないということです。
感情や好みはコントロールできません。
つまり、「ナモー」とは「私は主人ではない」という自覚を思い出させてくれる言葉なのです。
真の主人であるのは、ただ神のみです。
そして「ナーラーヤナーヤ(Narayanaya)」ですが、
- 「ナラ(Nara)」は「創られていないもの」、すなわち「無限なるもの」、魂(アートマー)を象徴します。
- あなたの魂は創られたものではなく、永遠です。
- 「アーヤナ(Ayana)」は「魂が宿る場所」、つまり神の体に永遠に存在する場所、または神ご自身が私たちの内に住まうという意味も持ちます。
つまり、「オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ」とは、
「すべてに偏在する至高の主に礼拝を捧げます。私は主に身を委ね、永遠の喜びと真の幸福を見出します。」
という意味になります。
もちろん、このマントラはさらに深く語ることができます。
2時間でも3時間でも語り尽くせないほどの深みがあります。
しかしこのマントラは、何より「平安(Shanti)」をもたらす力を持っています。
現代において、平安は非常に大切なものです。
スワミ・シヴァーナンダも「このマントラこそが世界に平和をもたらす唯一のマントラだ」と語りました。
ラーマーヌジャ・アーチャーリヤも「霊的なものでも物質的なものでも、必要なものは何でも、『オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ』を唱えればすべてが与えられる」と述べています。
それがこのマントラの力なのです。